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2008年02月 アーカイブ

2008年02月28日

古酒(クース)の基準

こんなこと習っていなかったよ。
教えてもらえなかったこと知ると少し得した気分ですね。


泡盛を寝かせると、こくや独特の香気が出てうまくなるので、古酒(クース)として珍重される。 なお、かつては琉球王朝時代に200年物や300年物が存在したとされるが、沖縄戦により全て失われ、今では首里の識名酒造に貯蔵された140年物の古酒が現存するのみである。


公正取引委員会の基準
公正取引委員会によって、『3年貯蔵酒が総量の50%を超える場合』に古酒と定義されている。この基準により、「50%」の基準を満たせば古酒と表示出来るため、水を足したり、他の年数の泡盛を足す例がしばしば見られた。


沖縄県酒造組合連合会の独自基準
本土並み課税を見込み、一般酒の価格競争力がなくなったとしても単価の高い古酒で対応すべく、古酒の基準を厳格化して品質向上を目指す機運が生じた結果、2004年6月から、沖縄県酒造組合連合会(46社が加盟)により、独自の基準が導入された。この基準では、「10年古酒」と表示することができるのは、10年古酒100%、ブレンド古酒の場合は原酒には最低10年を経た古酒を使用したものである。ブレンド古酒の場合は、「5年50%、3年50%」などのブレンド比率の表示も可能である。

また、瓶詰め日の明記も義務付けられた。


製法
伝統的には、一定期間に一本づつ、選び出した泡盛で満たした南蛮甕を貯蔵し(順に親酒、二番手、三番手……と呼ばれる)、ある程度年数が経ったところで、最も古い酒である親酒を掘り出し、きき酒を行った上で慶事等の際飲用に供される。『親酒』を飲んだり、甕からしみこんで減った分は、その分だけ『親酒』に二番手を、二番手に三番手を…というように順次新しいものを古いものへ補充し、最後に最高の番手の甕に新しい酒を補充する。この方法を仕次ぎという。最低でも、甕を3個用意し、三番手まで作るのが望ましいとされる。 なお、シェリー酒にも同様の方法があり、これをソレラシステムという。

多くの酒造所で、様々な方法で貯蔵されているが、現在、効率性の観点から多く採用されている貯蔵方法はステンレスタンク貯蔵である。泡盛は瓶詰めされたものを寝かせても熟成がすすみ古酒化するとされているが、瓶、ステンレスタンク、ホーロータンク、甕、樽と異なる容器で熟成された古酒は風味が異なる。前に挙げた方法はアルコールの減少が少なく、泡盛本来のクリアな風味となり、後者はアルコールが揮発し丸くなり、容器から溶出した成分のため複雑な風味となるといわれている。

瓶内でも熟成されると考えられているため、家庭でも新酒をそのまま寝かせることにより古酒にすることも可能である。かつては本州に出荷した泡盛の売れ残りが沖縄に送り返されることがあり、沖縄の業者は古酒になっているため喜んで引き取っていたが、本州の業者にも熟成のことが知れ渡ると売れ残りが送り返されることがなくなったという。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年02月29日

卓袱料理の歴史

中華っぽいスタイルなんですね。
長崎でこんなものが味わえるなんて本当に素敵です。

円卓を囲み、大皿に盛られた料理を食べるのが卓袱料理の基本形である。現在では料亭や割烹料理店で味わうのが主流で、結婚披露宴で卓袱料理形式の献立が組まれたり、慶事などで卓袱料理の仕出し料理をとる家庭もあることから、敷居の高い料理である。しかし、江戸期の長崎においては、大皿で手間が省ける合理性もあり、「急ぎの客人向け料理」「家庭的なもてなし料理」という側面もあったとみられている。

現在の卓袱料理は、「お鰭(おひれ)」と呼ばれる吸い物でスタートする。各人に椀が配られ、料亭では女将(長崎弁でおかっつぁま)が、披露宴では司会者が「お鰭をどうぞ」と挨拶を行う。参加者全員が吸い物を空にした後、主催者(結婚披露宴では来賓が多い)の挨拶が行われ乾杯。その後、大皿に盛られた料理が次々と振舞われる。料理の内容は店や予算などで異なるが、広東料理の宴会と同様に、最初に汁椀が出されることが共通している。


歴史
長崎における卓袱料理の起源は定かではないが、元和・寛永期(1615年-1643年)に崇福寺、興福寺などの唐寺が建立、徳川幕府により朱印船が廃止、対中国貿易が長崎港に限定されたため、かなりの中国人が滞在していたものとみられる。1689年(元禄2年)に唐人屋敷が整備されるまでは、中国人と日本人が市中に雑居しており、互いに招きあい、食事をする機会も多かったと考えられている。異文化の交流の中から、卓袱料理の形態が生まれたと言われている。また、海外から運ばれた砂糖や香辛料。オランダ語が語源とされるポン酢など、出島を拠点に行われた、ポルトガルやオランダなどとの貿易の影響も少なくない。

享保年間(1716年-1735年)頃には関西に伝わった。文化・文政期(1804年-1829年)前後には江戸で一大ブームになる。ひとりひとりに膳が出されるのが普通であった当時の人々にとっては、一つのテーブルを囲んで大皿で食べるという中国式のスタイルは物珍しかったという。江戸古典落語に登場する「百川」は卓袱料理屋として創業したと伝えられる(『評判江戸自慢』[1777年]および『嬉遊笑覧』[1830年]など)。このころになると、料理名こそ中国風であったが、その内容は日本料理・中国料理・南蛮料理が入り交じった独特のものに変化していった。

卓袱の語源は不詳だが、中国語で「卓」はテーブル、「袱」はテーブルクロスの意味。また、長崎奉行所の記録には「しっぽく」は広南・東京方面(現在のベトナム付近)の方言と記されている。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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