卓袱料理の歴史
中華っぽいスタイルなんですね。
長崎でこんなものが味わえるなんて本当に素敵です。
円卓を囲み、大皿に盛られた料理を食べるのが卓袱料理の基本形である。現在では料亭や割烹料理店で味わうのが主流で、結婚披露宴で卓袱料理形式の献立が組まれたり、慶事などで卓袱料理の仕出し料理をとる家庭もあることから、敷居の高い料理である。しかし、江戸期の長崎においては、大皿で手間が省ける合理性もあり、「急ぎの客人向け料理」「家庭的なもてなし料理」という側面もあったとみられている。
現在の卓袱料理は、「お鰭(おひれ)」と呼ばれる吸い物でスタートする。各人に椀が配られ、料亭では女将(長崎弁でおかっつぁま)が、披露宴では司会者が「お鰭をどうぞ」と挨拶を行う。参加者全員が吸い物を空にした後、主催者(結婚披露宴では来賓が多い)の挨拶が行われ乾杯。その後、大皿に盛られた料理が次々と振舞われる。料理の内容は店や予算などで異なるが、広東料理の宴会と同様に、最初に汁椀が出されることが共通している。
歴史
長崎における卓袱料理の起源は定かではないが、元和・寛永期(1615年-1643年)に崇福寺、興福寺などの唐寺が建立、徳川幕府により朱印船が廃止、対中国貿易が長崎港に限定されたため、かなりの中国人が滞在していたものとみられる。1689年(元禄2年)に唐人屋敷が整備されるまでは、中国人と日本人が市中に雑居しており、互いに招きあい、食事をする機会も多かったと考えられている。異文化の交流の中から、卓袱料理の形態が生まれたと言われている。また、海外から運ばれた砂糖や香辛料。オランダ語が語源とされるポン酢など、出島を拠点に行われた、ポルトガルやオランダなどとの貿易の影響も少なくない。
享保年間(1716年-1735年)頃には関西に伝わった。文化・文政期(1804年-1829年)前後には江戸で一大ブームになる。ひとりひとりに膳が出されるのが普通であった当時の人々にとっては、一つのテーブルを囲んで大皿で食べるという中国式のスタイルは物珍しかったという。江戸古典落語に登場する「百川」は卓袱料理屋として創業したと伝えられる(『評判江戸自慢』[1777年]および『嬉遊笑覧』[1830年]など)。このころになると、料理名こそ中国風であったが、その内容は日本料理・中国料理・南蛮料理が入り交じった独特のものに変化していった。
卓袱の語源は不詳だが、中国語で「卓」はテーブル、「袱」はテーブルクロスの意味。また、長崎奉行所の記録には「しっぽく」は広南・東京方面(現在のベトナム付近)の方言と記されている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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